2008年9月27日 (土)

マカオGP博物館

 いきなりマカオネタ、しかも食べ歩る記じゃなくてマカオGP博物館。
 時系列で言うと香港着いて女人街を練り歩き、夕方に香港島に渡りヴィクトリアピークに上ったのが8月27日。次の日がマカオ世界遺産巡り。でその次の29日のこと。ちなみに翌30日の朝マカオ出て香港でお昼食べて13時に空港着いて関空には20時に着きましたとさ。
 そのマカオ世界遺産のラストのギア要塞ってのが山の上にあって、その麓にGP博物館があるの、丁度良かったので併せて行った。でも、これが全部歩きで行ったから実はとんでもない距離やったりなんかする訳。セナド広場から全部歩いて行ったのよ、ようやるよ我ながら。しかもここから道に迷って、挙げ句根性決めて中国との国境まで歩いて行っちゃったんやから呆れる。

089  遠景。「鳥の巣」があるのはご愛敬、この山? 丘? の上がギア要塞、マカオのフェリーターミナルの近所っちゃあ近所。んで麓にマカオGP博物館があるが、ここから一直線に登れる訳じゃなくて、迂回して蛇行して登っていくので、この激烈な暑さの中では失神してしまいそうになった。ペットボトルの水は必携。ま、歩いていくヤツは居らんと思うけどね、一応。
088  ここの景色を逆から見たらこうなる。ここが11年ぶりにマカオに着いた時にフェリーターミナルから見てワタシを驚かせたカジノ、アメリカ資本のサンズ。何でも05年に2.4億ドルもかけて開業し、たった半年でその開業資金を回収しちゃったんだって。そりゃ未だにカジノが乱立する訳だ。
 しかし逆から言うと金持ち多いってことになるよな。レートなんて最低3000円くらいが普通で(たったの1ゲームですよ! ゲーセンで100円使うのと訳が違うんだよ!)、ワタシが触ったこと無いような高価なコインが飛び交うその光景は11年よりそれ以上の開きがあった。
 昔は(昔話か!?)こぢんまりしたカジノがいくつもあり、当時のワタシのようなガキんちょでも結構遊ばせてくれたんやけどねぇ。
094  しかしその金ピカのサンズですらその後に出来たリスボアと比べると見劣りしちゃう、そらそーやな、これやもん、わはは。
 どこの未来都市やねん、全く22世紀してます。
 近くにはマカオタワーが建ち、更なるカジノの建設、そりゃおもしろいけどお金がないと遊べないよ。
 我ら貧乏人が遊ぶ所ではなくなりました、とほほ。 

 
Gp Nsr  では11年ぶりにGP博物館に入ってみましょう。
 ヒストリックなレーシングカーが最初は多くてマカオGPの歴史が窺えます、葉巻型のフォーミュラなんてワタシの時代ではない(当たり前)。
 バイクも展示されてて、シュワンツの乗ったペプシカラーのV-Γなんてとても懐かしい。
 さておき、やはりエポックメイキングなのは83年のF3規格の導入でしょう。これ以降F3世界チャンピオン決定戦になる訳ですね。

081 079 080  その83年の優勝マシン、マルボロカラーというと!? そう音速の貴公子アイルトン・セナです。
 セナというとキャメルとかロスマンズとかたばこスポンサーの車に乗ってますが、やっぱ誰もが落ち着くのはマルボロでしょうねー。
  
082 083  90年にはミハエル・シューマッハーがミカ・ハッキネンとの激闘を制して優勝してます。
 確か最後ハッキネンがシューマッハーに当てちゃったのよね、うろ覚えながら記憶にある。
 しかしF1で91勝って、ジャッキー・スチュワートの27勝は遠い昔なのね。

086 087  続いては翌年91年のチャンピオン、デビッド・クルサード号。地味ながらも勝ってますね。
 ウイリアムズではセナの事故の後から乗ったけど、いつまで経ってもNo.2って印象やったな。
 でもこの人も長くF1乗ってるよなぁ、今年限りで引退か、へぇ~。

084 085  95年にはラルフ・シューマッハーが勝ってるけどマシンはなかった。しかし彼のマシンがありましたよ、佐藤琢磨、01年のウイナーです。
 この時は快挙や! ってな報道の仕方やった。イギリスでF3のチャンピオンになっての参戦、凄い日本人ですね。何としても来年のシートを掴み取って欲しいもんです。

 他には77年・78年とリカルド・パトレーゼ、82年は後にベネトンでピケとの1-2で鈴鹿に感動を巻き起こしたロベルト・モレノが、85年のマウリシウオ・グージェルミン(レイトンハウスだよ、イワン・カペリとのコンビだよ、懐かしいねぇ)なんかが勝ってますけど、これらの人達は地味すぎるのでマシンは当然ありませんでした。

 しかし、日本人初のマカオGP優勝者のマシンがない。そう、87年の(やったか?)赤木軍馬! 何故かマシンはなかった、当たり前か、ははは。
 軍馬は今も走ってますよ、オーバルで。なかなか単行本が出ないのでもどかしくて、そんで毎度々々話の内容が重すぎるけどね。

090 091  最後にマカオのパドック、じゃなかったピットなんかも載っけておきます。
 それにしても暑そうやねー。もちろん今でも暑いんでしょう、亜熱帯やもんな。

 っつー訳であまりにやることがないので暇にかこつけて更新してみました。
 

 

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2008年8月31日 (日)

香港・マカオ3泊4日

 ういーーース。無事帰還致しました。
 昨晩は20時過ぎに関空を出たがやっぱ日本に着いたら日本の臭い(醤油ですね、やっぱ)がしますね。香港に着いた時は香港の臭い(八角の甘い臭いと埃っぽさ)がして、「あー、来たなぁ」、って思ったし、昨晩は「おー、帰ってきた」、と思った訳である。
 もう香港の暑さは意識を飛ばすほどの物で、こりゃヤバいわ、って思ってたらマカオの方がもっと暑かった。熱帯です。
 で、昨日は夜ずいぶん涼しいなぁと思ったが、今、競馬場にメインだけ買いに行ったが、かーなーりーこちらも暑い。夏って終わったんじゃなかったっけ? 全く明日からまた不快な日々です。

 
 明後日から間髪入れず三重と名古屋なので休む暇もないので当分更新できませんのでほんの触りだけ。
 
Photo Photo_2  香港といえば…ブルース・リーですよね(古いわ!)、いやいややっぱヴィクトリアピークの1000万$の夜景でしょ。久しぶりに行った香港はまた凄いことになってました。今は21世紀になったばっかですけど、完全に22世紀に入ってます。街中は新しくなりようがないので20世紀のまんまなんですけど、香港島とか九龍でも海沿いの再開発はとにかく凄いの一言、この先どうなるんでしょうかねー。
 
Photo_3  対してマカオ。マカオといえば…カジノですよね、いえいえ世界遺産の「マカオ歴史街地区」でしょう、って今回マカオに行くまで世界遺産になってたなんて知らなかったんですけど。
 このカジノ、グランド・リスボア(手前は中国銀行)ですが07年に出来たそうです、なんでも都庁より高いとか。アホや…。サンズってラスベガスからやってきたカジノがジェットフォイルの発着場から見えた時は驚いたが、ワタシ的にはリスボアの方が笑えた(笑うんかい)。
Photo_5  それより普通の人はこのポルトガルが残した文化遺産のセナド広場の方がが魅力的ですね。ワタシは欧米圏に行ったことがないので、知ってるヨーロッパはここだけです。マカオは狭くて道路もほとんどが2車線か1車線で信号もあまりないのでここで車を運転するのはワタシ的には絶対無理だけど(それに基本的に歩行者は信号もへったくれもなくて車が来なけりゃ勝手に横断します、これは香港も同じ)、だからこそこじんまりして楽しいのよ。おもちゃのような街、それがマカオの魅力です。
18  マカオの世界遺産はマカオの公的に出してるパンフからですが25箇所の文化遺産からなってるようです。最初はマカオに来たら絶対行くであろう、この聖ポール天主堂跡に11年ぶりに行ったんですが、知らずに近所の世界遺産を歩いて、再度セナド広場に戻ってマカオ世界遺産のパンフを見つけたら何か全部行けそうだったんでぼちぼち歩いていったらその内意地になって全部回ってやると(実にワタシらしい)。結局楽しすぎ、1箇所残して(ギア要塞)28日の内に24箇所歩いて回った。何km歩いたか分からんが13時から18時までかかった。我ながらこのクソ暑いのにようやるわ。

Photo_6 10  29日は残ってた世界遺産のギア要塞まで歩いて、そこから何故か中国との国境まで歩いて行ってしまった(歩いてしまったじゃねー、途中迷っただけやっつーの)。何か知らんとこに来てしまったなぁ、って思って露天でドリアン(小)を10元(165円)で買ってパクリ。うぉー、やっぱドリアン美味ぇ!って思ってからが迷走。地図見ずに感覚的に歩いてたのでとことん変な方向に行ってしまって、エラいことになってしまったのである。
 しかしドリアン、食べる時に服に臭いが付いたらかなわんので、左手の親指・人差し指・中指だけで食べて、その後水飲んで口の中洗い流して手も洗ったはずなのに、中国の国境まで行き着いて、あまりの変わり様に愕然として、そこからマカオ競馬場に行くバスの中でワタシからドリアン臭がしてるのに驚いた。2時間以上経ってるのに! おそらく体中から発汗してたので毛穴からドリアン臭が流れ出したのではないかと、いや本当ですよ。恐るべしドリアン。しかし165円でドリアンが食べれるなんてありえんので、いくらドリアン臭くてもワタシは嬉しかったです、周りはたまらんかったやろうけど。
 そんでマカオ競馬場出て(19時くらい)まずは7・11でカールスバーグの500ml(8元=130円くらい)を一気呑みした後気が付いた。確かドリアンとビールの食べ合わせってお腹の中で有毒ガスが発生して死ぬこともあるんじゃなかったっけ!? 昔そんな記事を見たことを思い出して(誰か調べて下さい)、その時はドリアンとビールなんて組み合わせあるかい、と思ったもんだが今やっちゃった。4時間は経ってたが、いかんせんドリアン臭がしてたもんで、死ぬかと思ってちょっとドキドキでした、わはは。

 とりあえずはそんな感じで楽しい旅ができました、行って良かったなぁ、暑かったけど。
 後日暇な時に「香港・マカオ食べ歩る記」、「マカオ世界遺産巡り」、「マカオジョッキーズクラブ」、「マカオグランプリ博物館」、なぞ公開したいと思います。

 
 続く。

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2007年10月 4日 (木)

韓国紀行その3~掛陵・大陵苑・瞻星台~最終回

 一体いつの話をしとるのだ、と我ながら思うが、最終回なのでもちょっとお付き合い願いたい。決してネタが無い訳ではなく、逆に溜まりすぎててこれをUPしとかないと次へ進めないからだったりする。お時間のある方は「韓国紀行その2」を見なおしていただくと分かりやすいかもしんないです。

 えーと、前回は釜山に着いて2日目で朝から豆腐チゲ食べてマックでコーヒー飲んで(こればっか)竜頭山公園で李舜臣の像を見て100m以上ある展望台に昇って、んでから地下鉄乗って慶州に行って駅前の市場内の食堂でメシ食って世界遺産の仏国寺で感動して更にタクシーで山に登り石窟庵でこれまた世界遺産の釈迦如来座像の威光にに打たれて、そこからの話。
 しかし今から考えても充実した2日目やったよなぁ。
 
 仏国寺から石窟庵までは相場である10000W(1250円くらい)で走ってもらったのだが、帰りはバスの時間を見てたので石窟庵から帰りの登山道を早足で駆け抜けたのであった。だってバス代1300Wなんだもん。
 ガイドブック(BBB)見ながらバス乗ってたらあまりのカーブに気分が悪くなりかけたので(そんだけのカーブが連続してるんです、すんごい山道)景色を見ることに。
 走ること20分弱で仏国寺に戻った、この時既に17時前、しかし夏なのでまだ陽は高い。慶州でホントに行きたかったのは実は掛陵だったんであるが時間の問題もあるし(何せ慶州の宿も取ってない)、どうしようか迷ってた。
 そこでまたまた仏国寺の観光ガイドさんに聞く、「掛陵って良いとこですか?」、「とてもきれいなので行った方が良いですよ」、とのことでした。ただしバスはないのでタクシーで行くしかないそう。
 前に停まってたタクシーに掛陵までの値段を聞いてもらった所、5000Wくらいとか、こりゃ迷ってる暇はない、行くならまだ陽がある今しかないでしょ! メーター読みで走ってもらいました。つっても距離は15kmもないか? 結構なスピードで走って15分くらいでしたから。結局5500Wで着いた。

 さて、その掛陵、ここは何かというと古墳です。
Photo  慶州と言う所は古墳だけでも300以上はあるそうで、町中でもこんなふうに(これは掛陵じゃないですよ)そこいら中に古墳がある(木も生えてます)。ぽっこり丸い小山、ホント至る所にあります、発掘途中の物もあったりする。
 で、何でそこまで掛陵にこだわったかというと「街道をゆく」で司馬さんがガイドのミセスイムに一つだけ行こう、と言って連れてってもらったのがこの掛陵。新羅38代元聖王(在位785年~798年)の国宝の陵を見た司馬さんが言うてる訳です、「息をのむほどの美しさであった」と。
 観光ガイドさんもお勧めのこの美しい王陵、どれほどのもんじゃい!

Photo_2 Photo_3Photo_5  いやー、それほどのもんでした。ワタシも鳥肌が立つほどの感動を覚えました。今までこんなに美しい風景を見たことは数えるほどしかない!
 王陵のそばには花崗岩の文官が居り武官が居り狛犬も居る、どれも千年以上この王陵を守り続けているのである。王陵の基部には十二支の武人像がはめ込まれてます。
 とにかくワタシは別世界に入ってしまったかのようでただただ息を呑むばかりでした。
 また人が一人も居なかったことが輪を掛けてワタシをそっちの世界に浸らせてくれました。いやホント行って良かったよなぁ。
Ver Photo_6  もしも慶州に行こうと考えて居られる方が居らっしゃるならちょっと郊外になりますが掛陵に行かれることをお勧めします。仏国寺も石窟庵も良いけど観光地、ここは何と言うんでしょうか、地元の人もたまにしか行かん安息の地、って位置付けでしょうか。
 暗くなりかけてたので後ろ髪引かれる思いで掛陵を後にしました。

 さて、幹線道路に出たはいいけどどうやって慶州駅まで帰る? タクシー? ノンノン、無駄遣いは厳禁よ。ちょうどバス停を見つけた。来るか来ないか分からんがその内来るやろうと待ってたらすぐに来た、のはいいがハングルが読めないしヒアリングも出来ないワタシはとにかくこの道は仏国寺に必ず繋がってるはずなので仏国寺のへの入り口にバスロータリーがあったのを思い出し、でそこで降りれば慶州行きのバスに乗れると信じてひたすらうろ覚えの景色を見ながらまだかまだかと様子を窺った。
 ここや!って決めつけて降りたらドンピシャ、知らん土地でも何とかなるもんだ。後は10番か11番かのバスを待てば慶州駅まで帰れる、しかし暗くなると田舎では不安が募るのは旅の楽しさの一つです。

 後は宿を探すだけで、これはハナを利かしてそれとなく歩き回ると中央市場の近くでホテル発見、歩くのダルいので即決したが50000Wとはちと高かったか、これだけが後悔。
 夜は中央市場でさんざ呑んで、朝はまたその市場の別の店でオモニの賄いのうどんをそのままスライドしてワタシが食べて、朝靄の中これまた世界遺産の古墳公園「大陵苑」に行った。
 
Photo_7  ここで残念ながらデジカメの電池が死んだ、2日目の仏国寺でバカみたいに撮りすぎた。電源入れるだけでレンズが出てくるあの動きが結構電池食うのよねぇ(ちなみにワタシの愛機はPENTAXの「Optio S5N」、NHKマイルカップでラインクラフトとデアリングハートが1-2決めたレースを獲って買いました、なので2年半は使ってますので電池が弱い!)。
Img082  そういうことで著作権は無視して(をいをい)「街道をゆく」ビジュアルシリーズのJTBフォトからから拝借しましょう。こんな写真を撮りたかったんだが、どう歩いてもこんな高台はなかった。ひょっとしたら古墳の頂上から写したのかしらん? まーとてつもなく「古墳」してました。こうまであると確かにありがたみもないよなぁ。
 やっぱ掛陵は孤高を保っております。

Photo_8 Photo_9 Photo_10  大陵苑を抜けた頃には陽が出てきてやはり暑い、その中を歩いて行ったのはこれまた国宝の瞻星台、7世紀の天文観測台です。もうこれはジェンガですね。広い敷地の中にぽつんとあるこの東洋最古の天文台は犯しがたい雰囲気があった。これって携帯のカメラで撮ったんですけど、固定焦点なので動かない被写体に天気が良いときれいに写るということを発見。備えあれば憂いなしですね。
 
6800w  ここで慶州観光は終わり、10時前の列車で釜山に帰る。行きは9600Wもした切符が帰りは6800Wでした、特急と急行くらいの差やったか。
 そうして3日目はロッテホテルのある西面に行ってジャージャーメンやら激辛キムチ鍋やら平壌冷麺やら食べて更に最後の夜を飾るべく骨付きカルビを食べに行って焼酎2本呑んで〆でお揚げさん入りのうどんを食べて3日目を終わらせた訳です。
 2日目とのギャップが凄い、12時に釜山に戻ってきたらひたすら食べまくったもんなぁ。
 西面も都会でおもしろいがやはりワタシは南浦洞ですね、ジャガルチ市場なんか歩いても飽きることがない。
 ひたすら歩いてひたすら食べてひたすら呑んだ3日目(8月24日)でした。

 25日は帰国の日、朝8時半釜山後発のジェットフォイルですが、朝の早いワタシはまたもやジャガルチ市場を練り歩いて生きてる活力をもらった、そうなるとお腹が減る。ウォンが思ったほど余ってたんで贅沢にも朝から鮑のお粥10000Wをいただきました、これ一食で慶州まで行けちゃうよ(笑)。

Photo_11  最後の最後ですが帰りのジェットフォイルでちょっと笑ったのがこれ、船内のトイレに貼られてたんですけどなんちゅーか微妙な日本語、ワタシのツボに入ったので一枚パシャリ。
 このあと3時間の船旅を経て博多に着いて暑さと人の多さにうんざりしながら博多から小倉に移動してインフル騒動明けの小倉競馬場でタコ殴りされて負け犬状態のほうほうの体で逃げ出して18時半発の阪九フェリーで26日の朝6時半に六甲アイランドに到着したのでした。

 長々と垂れ流してしまったが韓国ネタは以上です。
 あー、また釜山行きたいなぁ、そう思わせるほど良い町ですよ。
 今度は魚介類を食べたい、その為にはハングルを勉強せねばねー。

 以上、韓、いや完。 

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2007年9月11日 (火)

韓国紀行その2~世界遺産仏国寺・石窟庵~

 ようやっと昨日で真夏日が止まって今朝なんて京都で16度の所があったとか。ワタシの住む町もずいぶん涼しくなりました、今もちょっと天気が怪しいようでぽつり…ぽつりと降りそうな降らなさそうな、そんな天気です。
 なので水シャワーはようやく卒業です(って今まで浴びてたんかい)。

 話は全然関係ないんですけど、「のだめカンタービレ」のドラマ・アニメ化以来、モーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ」をよく街中で聴くことが多いんですけど、これって絶対「のだめ」効果ですよねぇ。
 だって劇中でこの曲について千秋くんですら「知らない」って言ってるんですから。
 ワタシが知ってる訳もないんですけど、ドラマやアニメで「ほほう、こんな曲やったか」ってなとても印象深い曲ですので聴いたら忘れん。それがよく聴こえるんだから恐るべしですよ。

 さーて、明日から酒浸りの生活になると思われるので久しぶりに韓国ネタ行きます、ってもうそんなに残ってないんですけどね。
 ワタシ自身が毎日に追われ記憶が埋没してしまいそうですが、ま、それでも良いでしょう。悠久なる韓国の歴史の流れから見ると小さい話や。

 
 えー、8月23日です。
 要は釜山に着いてその次の日の話です。
 朝から豆腐チゲ定食食べてマックでコーヒー飲んで竜頭山公園に行ったその後の行動です。
1100w  地下鉄乗って韓国鉄道の釜田駅に行きます。初めて地下鉄に乗りましたが極めて安全な乗り物でしかも安い。10km圏内だと画像のように1100W(140円くらい)です。ワタシが博多港で買った100円の「BBB」(BEETLE BUSAN BOOK)に乗ってた地下鉄の券売機と実際の券売機が違う、どう買うのか迷ってたら改札員の人ではないと思われるおじさんが(制服じゃなく私服だったので)、さっと近寄ってきて買い方教えてくれました。察するに機械を新しく導入したためにやはり迷う人が多いための案内だと思われます。ボランティアかなぁ。地下鉄で感じたことはやはり儒教の国、老婆が電車に乗った瞬間に若い娘さんがすっと立って、手を引っ張って座らせたのは印象深い出来事でした。ちなみに一度だけ座ってみたのですが、シートはメチャメチャ硬かったです。甘い国じゃねぇ!
 
Photo_3 Photo_4 Photo_5  ロッテホテルのある西面の次の駅釜田洞で降りて歩いて3分で韓国鉄道釜田駅です。
 ですが途中その3分の間にでも市があったので寄り道。天気が良いので赤いテントだから赤い市場、しかも唐辛子の扱いが多いので真っ赤っ赤。魚も売ってます、ピチピチしてるドジョウが山の様に盛り上がって巨大な雷魚に鰻。釜山港が近いので魚介類は豊富なんだが肉に麺なワタシはほとんど食べなかった、次回は食べたいですね(本当は肉より魚、つまりは焼肉より寿司)。
Photo_6 9600w  で、買いました釜田→慶州行き(終点はソウル)のチケット9600W(1200円)です。列車で優雅な2時間の旅です。帰りの列車が結構停車駅が多かったので、これは特急なんスかねぇ。ちなみに帰りは6800Wでした。
 列車が来るまで30分以上の待ちがあって、やることないし、なんか待合室というかホールというか、が無機質な味気なさを感じる。しかしここで奥にネットに繋げられるパソコン発見、インターネット普及率が高いというのも頷ける、500Wで15分でした。しかしキーボードの配列が若干違うし、何よりハングル変換なのでどうしようもないが、とりあえずアルファベットでniftyを検索、これで何とかなった。メールチェック、たいした物はなかったので、時間があったのでこのワタシのページに入ってローマ字でコメントを(英語じゃない所が情けない)。
 
82311_2  ようやく列車が到着して、始発駅なんですけどお客さんはそんなに乗ってなかった、やっぱ新幹線に流れてるんかいな。それとも慶州ってのが今の若者には楽しい所ではないのかな?
 市街地を抜けて行くのだが、時折見える高層マンションがにょきにょき建てられてる。一つ思ったのはステイタスとして高層マンションに住んでる方が高いのか、それとも一戸建てに住んでる方が高いのか、高層マンションがあまりにきれいでしかし乱立してたので、どっちがいいのか判別付かなかった。

Photo_7  1時間半ほど走ると蔚山に着いた。秀吉の二度目の外征(慶長の役)の時に有名な加藤清正の「蔚山籠城戦」のあったあの蔚山ですよ。ずいぶんあの侵略戦争で建築物は焼け落ちたらしい、なので寂しい所かと思っていたが、どうしてどうして、近代都市に変貌してました。ま、列車から走って見た感じなんですけどね。詳しくは降りてないので分かりません。
Photo_8  で、こちらが目的地の慶州駅です。なかなか快適な列車でしたね。お昼は過ぎてたが駅前の城東市場でお総菜を各種食べてご飯お代わりした後はメインイベントの仏国寺です。
 しかしバス乗り場が分かんないので、駅前の観光案内のおねいさんに訊いた。日本語ペラペラで目から鱗、何てこたない、駅前通から10番11番のバスに乗れば仏国寺までは簡単に行けるそう。

Photo_16 Photo_18 Photo_19  さて、これが、いやこことこの山の上にある石窟庵がユネスコ世界遺産に登録されてます、まずは仏国寺です。
 仏国寺ですが、ここは韓国では珍しい仏教建築なんですが、その歴史がもっと凄い。
Photo_12 Photo_13  この青雲・白雲橋と呼ばれるこのアーチを描いた石組みの橋、751年の建築物だそうです、もちろん国宝。まずはこことこの並びにあるもう一つの石段の蓮華・七宝橋(これも国宝)が一大撮影ポイント。人が後から後からなんぼでも来る、この隙を突くのはかなり難しいミッションでした。
 
Photo_14 Up  それはさておき、ぐるりと回って寺に上がって極楽殿を見た瞬間にワタシは奈良時代にタイムスリップしたかのような佇まいに圧倒。しかしここ仏国寺は石垣が当時のもで、上の木造建築はやはり朝鮮侵攻により一度焼けてしまったようです(うんちく文にはどの建築物にも豊臣日本軍に焼かれた、なんて書いてなく、「750年に創建したが、その後数回の重建と重修を経て今に至る」みたいなことが書いてあるんですけど…。
 「BBB」では京都を連想させる、って書いてあるが、ここは京都より奈良でしょ。っつか唐招提寺でしょ、そう思って家に戻って「街道をゆく」のビジュアル版じゃなくて小説の方を読んだら司馬さんも「わが国でいえば法隆寺とか唐招提寺とかいう存在にあたるであろう」って述べてる、ほらな。
Photo_15 Photo_20 Photo_21 Photo_22  しかしこの極彩色の軒桁の複雑な組み方なんかは中国的建築物やし、日本で言えば長崎の崇福寺によく似てるとも言える。
 大雄殿や国宝の多宝塔・釈迦塔やそれを囲う梵鐘閣の亀の上に載っかった太鼓とか木魚とかワタシをくすぐる物がこれまた多い。しかし観光客がこれでもかってくらいに居るので(当たり前か)、シャッターチャンスがほとんど無い。とくにこの大雄殿の空間にはそんなこんなで見る物が多いということもあるし、青雲・白雲橋を登った所(もちろんあの階段は登ってはいけません)、ってこともあって人が引かない。 
Photo_23 Photo_24 Photo_25  ←こんなんばっか撮ってるからここでデジカメの電池をほとんど無駄に使ってしまって大ピンチ。
 
Photo_26  更にに奥に登ると金堂毘盧遮那王仏座像(国宝)もあり、これは日本では大日如来ともいい、東大寺と唐招提寺にしか見られないそうです。

 
Photo_27  そんな感じで8世紀を堪能し一旦現代に帰って来たワタシが向かう次の行き先は先に述べた石窟庵。
 仏国寺から1時間に1本バスが出てるんだが、全くとんちんかんな時間だったので、タクシー初騎乗。
相場通りで10000W、バスなら1300Wなんやけど時は金なり、メーター読みじゃなくて契約価格(10000W)で行ってもらう。ところがこれが並の登坂じゃない、かなりキツイ所を上がっていく、結構走ったような気がした、これなら10000Wなら普通でしょ。
 到着しました石窟庵。もはや夕方近くになってたので人は仏国寺ほどは居なかった。
 何があるかというと花崗岩を組んだドームみたいなのの上に土を被せ洞窟に見立てて作られた石窟寺院。もちろん国宝です(こちらも750年くらい)。
 しかしここに辿り着くまでがまた遠い、入り口から仏像までかなり山歩きせにゃならん、かなりの標高なので涼しいんだがやはりあつはなつい、汗だくです。しかし道中、リスはそこかしこに居るわ、セミの鳴き声は半端やないわホントにエラい所に来てしまった。
Img074 Photo_28 Photo_29 Photo_32  ここは湿度をコントロールしてるそうで、ガラスで間仕切りされてる。もちろん写真撮影禁止。なのでここはガイドブックから無断で借用しちゃいます(をいをい)。
 遠景から見るこのぽっこりした山がドームになってる訳です、図解されてますのでそっちも見て下さい。
Photo_33  近くから見たらこんな風になってます。ホント圧巻です。
 ガラスで保護されてるってのは中尊寺金色堂とも言えるし、よくもまぁ、こんな山上に、って点では山寺と共通してるというのは強引か(いちいち日本と比較せんでよろしい)。
 それにしてもこの息を呑むほどに美しい仏像は並ぶ物がない程荘厳でした。

 帰りはバスの時間に合わせて出てきたので1300W、仏国寺に戻って、更にこの日の終わりを締めくくるべく古墳に向かうのでした。
 何度も言いますが、朝から豆腐チゲ食べてマックでコーヒー飲んで竜頭山公園行って、地下鉄から韓国鉄道で2時間かけて慶州まで来て、市場の食堂でアラカルトでお昼食べて仏国寺行って石窟庵に行って、です。

 しかし充実してた長い一日やったなぁ。もちょっと続く。

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2007年8月30日 (木)

韓国紀行その1~竜頭山公園~

 今日で秋になったのでしょうか。
 お昼前に雷を伴って、わずか10分ほどであるが滝のような雨が降った。ほんの少しの間であったが、今扇風機を「弱」で回すワタシの肌は若干の冷たさを感じてる。このまま静かに終わってくれるとありがたいのだが。
 しかし大阪の暑さというのは大変なもので、昨日の朝日新聞の夕刊だが、多治見で40度超えようが、日本一の暑さはやはり大阪だと書いてた。
 つまりは8月の平均気温、一日のね。夜中0時から次の日の夜中0時まで、この平均気温が何と30度を超えちゃってるそうです。熱帯夜が20数回、26・7度くらいであったろうから一日の平均気温が30度超もありえん話じゃないわな。
 まー、今年もよく持った。まだ残暑も厳しいこととは思うが、エアコン無しで乗り切ったワタシは自分で自分を誉めてあげたいのである。

 
 さて、話が過ぎたが、遅ればせながら韓国話の第二弾、実質一話目ということでお付き合い願いたい。
 ざっくり言って、ワタシが訪れた観光地は一つには釜山の竜頭山公園、二つには慶州の仏国寺、三つには石窟庵、四つには掛陵、五つには大陵苑、最後に瞻星台、である。
 
 それでは竜頭山の名前を借りたワタシの感じた韓国をここで語りたいと思う。
 釜山港に22日の15時過ぎに到着したワタシは歩いて市場まで(っつーより冷麺ですね)行けそうやったので、表通りに出てまずは物価を調べようと「GS25」というファミリーマートかここか、ってくらいに何処にでもあるコンビニに入ってミネラルウォーターの500mlを買う、安いもので500W(63円くらい)、レジに出すと値札通りの500Wを請求された、内税なんかな?
 コンビニではお金を払うしかコミュニケーションがないので、値札を見りゃ何でも買える。これで一つは今後の生活をクリアできる。
 あ、それより先に港からそのコンビニまでの200mほどで気付いて驚いたのは何と車が右側通行で、ハンドルが左ハンドルやったって事。ええええええ。こりゃ意外な出来事でした、やっぱ大陸は違うな。
 こんなことですらワタシは無知だった訳です、少しは下調べして行けよ。いくら急に決めたとはいえ。
 しかしそんなことに驚いてしまうくらいに日本と同じ(同じにされたらたまらんやろうが)だと思ってたのですね。
 ここでちょっと夢想したんですけど、「嗚呼、ここが大陸の端でも大陸ならば、ここから陸路で例えばバイクでも走っていけば極西のポルトガルまで行けるんやなぁ」ってちょっと感動したもんだが、よう考えたら隣は北朝鮮で入ることすらままならん、いきなりこの野望は潰えてしまいました、あはは。「深夜特急」が香港から始まる訳や。
 それは置いといて、雑感としては漢字表記が無く、英語表記も無く、ましてや日本語表記などもっと無く、ハングルが街に氾濫してるのである。これはかなりヤバイ、全く読むことが出来ないのである。次回の課題としてキッチリ勉強して、せめて雰囲気くらいは分かるようになって行きたいと思う。だけどロッテ百貨店のある西面は割と日本語も漢字も英語もあったのでそういう点でも街として釜山は、ってより南浦洞は市民に密着した街なんであろう。西面はビジネスマンや外国人向けって感じかな。
 
 結局着いた22日は釜山の街を把握するために歩き回ったので、何処に何があるかは分かったし、街の雰囲気も理解出来た。
 で、竜頭山公園。公園からの景色も良いが、釜山タワーが地上120mに連れてってくれますので、釜山が360度見渡せます。
 街歩きの最初は何処からでも見えるタワーで自分の立ち位置を確認してたけど、後にはそんなもん必要なくなった。でも目印として便利は便利です。
 さて、朝ご飯で豆腐チゲを食べて、マックで2000Wのコーヒーを飲み、休憩した後に登った。登山口って程ではないが、ちゃんとエスカレーターがあるのだがこれが動いていない。とすると相当な階段を上がって行かねばならん、きっつう。でもこのエスカレーターも夜には「恋する惑星」のヒルサイドエスカレーターみたいな雰囲気してんちゃうかなぁ、って思ったりするんだが何時動くんか分からんと世話無い。
 で、何とか階段を上ったが、息も絶え絶え、漫画「シャカリキ!」で登坂と平地では筋肉の使い方が違う、ってな事言ってたが、ならばワタシはクライマーにはなれん、オールラウンダーかな(何言ってんだか)。
 
Photo Photo_2  ま、そう言う訳でお出迎えしてくれたのはこの花時計です。ムチャクチャ良い天気です。ですが22日は夕方から雷鳴って雨が2時間くらい降ったのですよ。しかし23日は一転して快晴、まだ気持ちの良い頃です、朝ですし爽快。
 お次は鐘楼、でかいですね。音鳴らしたいけどでけんようです。位置は後ろの釜山タワーで確認して欲しいと思います。

Photo_3 Photo_4 Photo_5  いよいよです、釜山を釜山たらしめてるのがこの銅像です、李舜臣。いろんな角度から見ていただきましょう(でも角度ってよりズームの遠近感だけやったりして)。
 この李舜臣、何者かと言いますと秀吉の起こした朝鮮ノ役の時に数度にわたって日本の水軍を撃破し、戦局に重大な影響を与えた名将だそうです。その後イチャモンを付けられて足引っ張られて牢に入れられたそうであるが、再度の慶長の役で朝鮮の水軍が惨敗した時に牢から出されて再び戦い大いに日本軍を破ったのだが、海戦中、鉄砲の弾に当たって戦死してしまった。
 だがここで終わらない、明治期の日本の初期の海軍はこの隣の国の海の名将を思い出して、ホントは敵将なんですけど、いたく尊敬し(後世に尊敬される程の人柄でもあったそうです)、研究した。
 日露戦争でバルチック艦隊が来襲した時に東郷平八郎率いる兵の一部は李舜臣の霊に祈ったとある。
 ちゅう訳で日本人の方が敬愛と感心を持ってて韓国人の方が忘れてたのではないか、という李舜臣を韓国が独立してから民族的英雄として大きく取り上げソウルにも釜山にも大きな銅像が出来たそうである。
 とまぁ、司馬遼太郎センセの「街道をゆく~韓のくに紀行~」から抜粋しました 
 今ではこの丘の上から釜山の海を見守り、対馬海峡ににらみを効かせてる訳です。

Photo_6 Photo_7  花時計→鐘楼→李舜臣像→龍とタワーに向かって次々と登場する訳ですが、この龍に関しては何か説明文があった訳でもなく、全く分かりません。あまりによく出来てたのでここに登場してもらいました、ううん、仮面ライダー龍騎、またしてもドラグレッダーですね。
 
Photo_8  釜山タワーですが、3500Wで一気に高速エレベーターで120mの展望台まで連れて行ってくれます。
 ワタシは高所恐怖症なので真下を見ると腰が砕けて足は震えてとヘタレになってしまってましたが、ここから見る景色は圧巻ですよ。真下に李舜臣、左に鐘楼、その隣の真ん中に花時計、真ん中の橋と左半分切れてる赤い鉄橋の間の工事されてる所はこれからロッテワールドが出来るそうです、ちょっとがっかりするのはワタシだけでしょうか。

Img071  最後に非常に荒い画像になってますが、この白黒写真を見てワタシはこの竜頭山公園に来たいと思いました。なんつーか、「胸を打たれる」写真になってます。司馬センセが訪れた1971年当時は竜頭山から釜山市街を見下ろすことが出来たそうです、釜山タワー無しでね。
 ちゃんとしたのを見たい方は「朝日ビジュアルシリーズ」の「街道をゆく」をご覧下さい。

 
 おー、涼しい、涼しい。

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2007年8月 9日 (木)

日本で一番短い国道

 暑い暑い。毎度同じ事ばっか言ってるがホンマに暑いんやもん、しゃーない。
 今日なんてラジオ関西が屋外放送してたけど、パーソナリティーが気温46度!つってたもんなぁ。
 百葉箱では35度でも路上の暑さは+10度以上、大阪のコンクリートは暑いで。
 こんな日々が2ヶ月は続くかと思うとぞっとする。

 
R174_4 R174_5 R174_6  さて、話は180度変わって、こないだ珍しくお昼にあの場所に行ったのでちょっと紹介。
 あの場所とはここ、「日本で一番短い国道」。
 ここは三宮フラワーロードを南に下ってR2の南の道。横に神戸税関があったりなんかする。
 R174、187.1mです。短かっ!
 この道はいつもうどん食べに行く時に使うジャンボフェリーの乗り場がこの先にあるのでしょっちゅう通ってるが、なにせ行きが0時頃、帰りは20時前、明るい内に通ることがない。
 なので近所に行ったので立ち寄ってデジカメのシャッターをパシャリと。
 ま、なんてことない普通の道ですね、ははは。

 絵的におもしろいのはワタシは行ったことがないのであるがやっぱ青森県の竜飛岬にある歩道の階段国道R399でしょう。
 10年前に東北うろちょろしてた時に行こうかとも思ったのだが止めた、理由は何やったかなぁ? 18切符で行ってたからアクセスが異常に悪かったんでしょうね。
 ちなみにストーブ列車に乗りました、太宰の斜陽館に行きました、弘前城行きました、ラーメン美味かったです、こんなもんですかねー。
 あ、酸ヶ湯はサイコー。

 
Photo Photo_2 Photo_3 Photo_4  話ずれた。
 このR174はたいしたことないただの道ですけど、少し西に歩けばこんなのがある。
 竜馬が塾頭で勝海舟が起こした神戸海軍操練所の跡地があったりします。
 こっちの方が100倍おもしろいかな、好きな人には。
 これ見たら神戸は港町だなぁ、と思うね。異人館が最近人気があるのかないのか、北野で遊ぶのが流行ってんのか流行ってないのか知らんけど、ワタシはこの辺りや旧居留地の堅牢なビルヂングとか、三宮から始まる高架下、いや元町からの「モトコー」の方が神戸らしくて好きかな。

 まーた話ずれた、要はとてもとても短い国道だって事です、終わり。

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2007年5月 3日 (木)

到着桂浜

到着桂浜
やっぱ竜馬ですよ。

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2007年2月 8日 (木)

国宝 神谷神社

 里中君、さっちゃん、ご結婚おめでとうございます、特にさっちゃんはいつの間にか大人になってたんですね。
 駅からの帰り道、コンビニで何気なくチャンピオンを手に取ったら「ドカベン」で上のエピソードが展開されてました。まだ、結婚やなくて、プロポーズしただけやったか。
 何か150勝したら結婚申し込む、みたいなことを里中君が言ってた。150勝もしてるんや! さすが「小さな巨人」ですね。
 しかし今の「ドカベン」は全く読んでませんが、それは野球漫画やなくてSF漫画やからでしょう、ありえねー。時の流れはどうなってんだぁ!?

 と、長い前振りになってしまいましたが、時の流れを感じましょう。
 「名所・旧跡」のコラムに新たな所を紹介したいと思います。
 国宝 神谷神社です。
Photo_111 Photo_112  ワタシはただのうどんバカ一代ではありませんぜ←実はこんな名前の店が実際香川にはあります、先日のゴッドハンドに並ぶ珍名店です。
 画像はこれ、はい!

 いや、バカ一代はどうでもよくて、要はただうどんだけを食べに行ってる訳ではないってことです。
 10年以上前には(その頃はこんなうどんの存在は知らなかった)、四国八十八箇所巡りも達成してます、ただし車ですけどね。でも車で寝泊まりして行ったから結構しんどかった、つっても歩いてるお遍路さんの比ではないが(それでも10日はかかった)。
 で、八十八箇所のお寺の中でも五重塔が国宝やったりとか(確か観音寺の方やったか?)あるんですが、神谷神社は「神社」ですのでお遍路さんとはなんの関係もありません。
 場所はR11で釜の山下、がもうをまだ越えて坂出方面に左折(西に)する直角カーブのある辺りの逆方向、つまりは東側で山のすそ野にひっそりとあります、って思いっきりうどん屋さんからの説明ですが(笑)。

Photo_113  こんな佇まいです。侘び寂を感じます。
 2・3年前まで正月、桂浜にバイクで初日の出を見に行ってた時は帰りに必ず立ち寄ってましたが、正月というのに人が全く居ないという、素晴らしい? 神社であります。
Photo_114 Photo_115 Up  赤い柱の建物が国宝ではありません、その奥の鎌倉初期の建築の本殿が国宝です。横からの画像も。
 建築年代の明らかな社殿としては日本最古のものだそうです。
 こうあります「反り豊かに流れる桧皮葺の屋根、ヤリ鉋仕上げの丸柱や長押、大きく面をとった向拜の角柱、簡素な舟肘木や和様三ツ斗正面の板扉、角材の階段、縁をめぐる刎勾欄など、鎌倉建築の様式をよく表し、乱石積の基壇とよく調和して荘厳かつ優雅である。」と。
 はい、さっぱり分かりませんね(笑)。この漢字探すだけでも大変ですわ、流石ATOKです。
 
 では御由緒。要約して「太古、神々がこの渓谷に集い遊んだところからこの地を神谷と云い、自然居士なる人が川淵に忽然と現れ、傍らの大岩を祭壇として天津神を祀ったと伝えられている」んだそうです。その大岩は行ってないんですが、確かにこの神社の横を流れる川の上流は実に神話の世界してます。

 最後に御祭神ですが、火結命(ほむすびのみこと)、奥津彦命(おきつひこのみこと)、奥津姫命(おきつひめのみこと)だそうです。

 なんのこっちゃ、ただの受け売りになってますが、こういう場所はうんちくなんぞ関係なく、その雰囲気を感じることが一番だと思います。所や物によってはもの凄いオーラ出てる所もあるし、霊媒体質ではないワタシですら鳥肌立ちまくりな神社もあります(寺より神社のが多いですね、やっぱ)。
 宇佐神宮なんて山に入った瞬間に背筋にゾクゾク来た。
Photo_116 Photo_117  ついでに森高の「渡良瀬橋」に出てくる「八雲神社」~願い事一つ叶うなら あの頃に戻りたい~の八雲神社も夕方から夜になる頃行ったらもの凄い鳥肌でした。ついでに床屋に角ぽつんとある公衆電話も思わずかけたくて何度も受話器とりました(笑)。

 たまには神社仏閣巡りもいいですよ、俗世間を忘れて。日頃の悩みなんて小ぃちゃい小ぃちゃい。先週19連敗したことなんてこの悠久なる時の流れからしたら屁でもない。
 
 さ、明日は朝一番で東京行きの飛行機に乗って、ツレんちで1泊して今年初の府中で勝負。
 ここは神頼みになっちゃうのが情けないですけど(笑)。
 どら、支度しようっかな。

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2007年1月 4日 (木)

伏見 寺田屋

 休みってホントにアッという間ですね。
 明日からもう仕事です、年末年始なんぞ流れるように終わってしまいましたね。
 去年はろくでもない年でしたんで、今年は何とか実りがあって健康な一年でありたいと思いますが、果たして思ったように行きますかどうか。いや、行くぞ。

 休み最後の日なんで、やり残してたことなんぞちょろちょろと。
 まだ今年の手帳買ってなかったんで、買い出しに行って今から書き写し、ひぇぇぇ、アナログぅ(笑)。
 ちなみにお昼前に買い物行ったついでに晩酌の準備も済ませて来ました。エンメタールチーズ買ってワイン。メインは牛肉のたたきに付け合わせでパスタでも茹でようかしらん。
 あ、やっぱり呑んで食ってばっかやったな、アハハ。
 明日の晩からはまた予想の始まりなんで、今日までが戦士の休息、こうして久しぶりに更新しようと思ってる訳です。
 ネタはあるんですよ、こうして。けど時間がないのが言い訳。
 この休みも最後の最後になってやもんねー。
 

_  って訳で伏見の史跡寺田屋です。
 去年何度も伏見に行っててちょいと足延ばしたらそこが寺田屋。伏見駅からやと歩いて10分くらい? 無理に近所に仕事作って行きました、はい。
 ここは学生時分に行って以来なのでもう何年前に来たのか覚えてすらないけど、もちろん全然変わってません、当たり前ですね、ハハハ。
 もう200年くらいは続いてるんでしょうか?
_2_2  見取り図はこれ。
 薩摩藩士同士で討ち合ったかの有名な「寺田屋事件」が1862年だそうです。
 その数代前から船宿を営んでたらしいのでやはり200年くらいなんスかねぇ。
 「寺田屋事件」の起こった部屋は今は観光客用の案内やお土産グッズなんか売ってたっけか。
 しかしこの話も凄まじいですね、首領格の有馬新七って人は斬撃を受けて刀が折れるやすぐさま刀を投げ出して相手(同じ薩摩人ですよ!)を壁に押さえつけ「俺(おい)ごと刺せ!」と言って自分ごと串刺しにさせたそうです。もちろん刺した方も薩摩人、これ皆普段は仲間やった訳です、薩摩人の恐ろしい美徳ですね。
 この時の女将が高名なお登勢さんです。
 後には竜馬との縁の方で有名ですね、竜馬の嫁のおりょうを引き取ったりとかね。
 で、竜馬と寺田屋とPhoto_86 いえばこれが有名ですよね。
Photo_87  薩長同盟が成ってその夜、長州藩士の三吉慎蔵と共に夜中に伏見奉行所や見廻組に踏み込まれながらもおりょうの機転と三吉慎蔵の槍と何故か竜馬のピストルで難を逃れた、というこの事件。
 そん時の竜馬の部屋はこんなんです。今では床の間に刀や高杉晋作からもらったピストルのレプリカなんか飾ってます。
 この左側の階段からおりょうが駆け上がってきた訳です。
 風呂に入ってた所を危機を察知して勢い上がっていった、と言うから裸であったというのはあながち嘘ではないかも知れません、そっちのがおりょうらしい。
Photo_88 2_1  で、注目して欲しいのがここ。
 嘘かホントか(失礼)、その時竜馬が撃ったピストルの弾の後がこれ。
 ま、威嚇で撃ったであろうと思われるので、柱に当たることもあるかもね。
Photo_89 Photo_90  そんでそん時おりょうが入っていたお風呂と駆け上がった階段を下から見たのがこれ。
 流石に旅籠、良い雰囲気してるよねぇ。
 しかし昔の割に造りがしっかりしてるのはやっぱ今にはないもんですね、そりゃ手が入ってるとはいえ。
 かくして逃げ延びた竜馬と三吉慎蔵は薩摩藩に救出され、竜馬はおりょうと薩摩に日本人初の新婚旅行なんかに行ったりしてます、変わった人ですねー。
Photo_91  これは一昨年鹿児島に行った時に見つけたもの。
 この時ケガを負った竜馬が傷を治しに行った「塩浸温泉」なんて所もバイクで行ったことあります。その昔、司馬先生が行った時には地元の人間ですら知らなかったという話でしたが、10年以上前に訪れた時にはちゃんと竜馬とおりょうの銅像が建ってて川湯もあった。ま、入りませんでしたけどね。

 しかしここまで日本人に愛される日本人も珍しいんじゃないでしょうか?
 まさか信長や秀吉やましてや家康なんて言うに及ばずでしょ。
 そんな竜馬の定宿寺田屋、実は今でも宿泊出来ます。
 素泊まりで、建物内に酒・食べ物持ち込み禁止ですけど6500円です(ちなみに見学料は400円)。
 竜馬の部屋(梅の間と言います)以外の5部屋が泊まれるようです。
 ちょっといろいろありすぎて多少怖いかも知れませんが(そりゃーねー)、幕末の雰囲気を感じたい方は是非どうでしょうか。
 ワタシは誰かと一緒に行きたいんですけど、その誰かがなかなか見つからないので行けずになってます、トホホ(結局最後のオチってこんなんかい・笑)。
 
 

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