東日本大震災、三陸海岸を歩く~最終回陸前高田編~
では「東日本大震災、三陸海岸を歩く」の最終回、陸前高田を歩いてみる。
繰り返し言うが、行ったのは9月の23・24日で23日は南三陸町~気仙沼、この日が釜石~大船渡~ここ陸前高田である。
地図を見てもらえれば分かるように南の気仙沼、北の大船渡よりも湾が入り組んでないので広い、これが影響があったのかなかったのか、ワタシには分からん。
何せ初めて行った土地なので素の姿が分からないので、こういう所なんだと言われたらそうかと納得してしまいそうだが、実はこの津波で何もかも流されてしまった荒れ地は実は町であった。
おそらくワタシが立ってシャッターを押した場所がこの「パーラーセントラルウェーヴ」の駐車場、矢印の方向にカメラを向けて撮影したので本来ならこの正面には「しまむら」があったはずなのだ。
R45沿いにはローソンもモスバーガーも道の駅もあったはず、だがここには何も写っていない。
何もなさすぎて全く実感が湧かない、実に良い天気で穏やかなのが現実とのギャップを感じさせる。
この大震災で一躍有名? になった「奇跡の一本松」を見つけたので見に行ってみる。
津波の時にはこの松のてっぺん近くまで波が押し寄せてた、写真で見た人も多いのでは?
松の向こうの建物がユースホステル。
ユースホステルに行く橋から撮った、何がなにやら分からない。
一本松からやはり北東を向いて一枚撮る、まるで何事もなかったようだ。
しかし松の根元にはお地蔵さんが…。
これは何というのか分からんが、この防波堤の門のようなもの、これは残ってたが、この建物が隠れそうなくらいまで高波が、一体何mあるんだろうか。
何度も言うが右端の崩れた建物がユースホステルだ。
骨格だけはあるが全体は歪んで中は全て抜かれた建物の抜け殻。
繰り返し言うがこれは陸前高田ユースホステル。
車で少し移動、残っただけの建物だが県立陸前高田病院、ここで難を逃れた人がずいぶん居たはず。
ここからの津波の画像も見たがそれはとてつもない物であった。
この立派な骨格の建物で形は留めているが、1・2・3階は津波で持って行かれているようだ。
入口には枯れてはいたが花が供えられてあった、合掌。
そして上の病院の画像の左端にちらっと写っていたのがあの「MAIYA」、ここも相当な被害にあったであろうが残ってる、いや残っているだけ。
ここでまた地図を見ていただきたい。
駅があって駅前があって「養老乃瀧」があって…あったか???
そう、陸前高田駅(休止中)とあるが、線路も駅も駅前商店街も何もかもないのである。
このような車が捻られてる風景も見慣れてはいかんが当たり前になってくるから恐ろしい。
繰り返すがここは町であった、しかも景勝地であった、しかし今はもう何もない。
追伸 この後、ユースホステルの西を流れる気仙川に沿う形でR340を北上したが、ある程度山を登って越えたその先にスーパーMAIYAの仮設店舗が元気に営業していた。
| 固定リンク
コメント