東日本大震災、三陸海岸を歩く~気仙沼編~
ワタシの記憶も皆の記憶も色あせない内に進める
9月23日(木)に南三陸町から向かったのは気仙沼、東日本大震災の時は火災に遭った町としての印象がある。
到着したのは17時半、暗くなりかけてきた。
気仙沼の観光船発着所の南町海岸に車を停める。
気仙沼ちゃんの旅館がある大島行きの船乗り場、まだ形が残ってるだけ良いのかな(良いって言い方もないな)。
小さな町を歩いてみる、早速目に入った光景がこれ。
地図を拡大して今見てるが、「丸桝食堂」という食堂がかろうじて残ってるが周りは軒並み倒れたようだ。
そこから北に少し歩けばコンビニがある、いやかつてはあった。
後ろの「まるへい」というのは呉服のお店だそうだ、どこでも共通してるのはしっかりした建物は1・2階はどうあれ残っている、当たり前なことなのだけど。
視線を北に切り替える、何が傾いてて何が水平なのか分からなくなる。
丸を付けた部分に注目していただきたい。
チリ地震津波を教訓にしたつもりであったのであろうが、逆に皮肉になっている。
そしてこのぺしゃんこになった建物は「男山」という気仙沼の地酒の本店。
最初は何がどうなってるのか分からなかったが、どうやら1階が潰れて2階が1階になってしまったようだ。
後ろから見てみる、やはりそうみたい。
しかし見ての通り、社屋は全壊してしまったが、その後何と新酒を仕込みを再開し、完成させてしまったらしい。
呑んでみたい、このお酒。
そしてここ気仙沼の港にはこのように、森進一が歌った「港町ブルース」の歌碑がある。
歌詞に気仙沼と歌われているのだ。
ちょっと分かりにくいので引いてみる。
とにかくいびつな形になっている。
少し港から離れて町を歩いた、「佐々木金物店」というらしい。
木造でも1階は抜かれてるが何とか建ってるのはここまで来ると割と地形が細々してて途中で津波の威力が分散されたからだと思われる。
今度は南下して港の方に戻ろうとする。
基礎がしっかりした建物以外は繰り返すが建っているのは難しい。
そしてもう少し南に下って港の西の方に当たる場所にこんなオブジェが。
「2011.3.11 GROUND ZERO 風の広場」、とにかく胸が鷲掴みにされたように痛い。
また別の筋に入ってみる、本当は飲屋街だったのかな?
むろん今は賑わうべくもない。
前に見た南三陸町と比べると入江が狭くて複雑な分だけ波が入り込みにくかったのかと思った。
現に港から100mくらいまでしか津波の被害はないように感じた。
だから気仙沼プラザホテルは再開されてたし(上の地図参照)、そこの広い駐車場に隣接されてあるお土産物売り場で三陸産のふかひれスープをお土産で買って帰ったくらいやもん。
ところが酷い被害があったのはこの湾のドン突きの冷凍食品のヤヨイの気仙沼工場。
防波堤を超えたら即工場なので建物は辛うじて残ってたが(残ってると言うのか!?)、目を逸らしたくなるような現場であった。
しかし、それでもこの4日後の27日には大島とを結ぶ客船が震災以来復活したそうです。
気仙沼ふぁいと!
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