うだつの町並み~徳島県美馬市脇町~
えーっと、香川で4軒目の多田製麺所で冷かけ食べてからの話。
向かったのは徳島県美馬市脇町、「うだつの町並み」、到着したのは11時くらいか。
「うだつ」ってなんや、って言うと「うだつの上がらん」の「うだつ」やと答えよう。
それでは不親切なので、うんちくを貼り付けておきます。
つまりは隣の家からの火災を防ぐ役割であったそうです。ここにもあるが、後に裕福な富の象徴になったってある。
ワタシの聞いた所によると(出典もはや不明)、農家の次男坊は土地を継げないので、商家に丁稚奉公に出されるんだそうで、そこで一所懸命働いて、立派なうだつのある家を建てれたら良いのだが、ぼんくらでいつまでも奉公人で終わってしまい、うだつのある家を建てられないような者のことを「うだつの上がらぬ奴」と言ったとか言わんかったとか(いや、言ったんです!)。
何でこんな山奥にこんな栄えた町並みができたのかはワタシの説明よりも美馬市に案内してもらいましょ。
~藍で栄えた美馬市・脇町の「うだつの町並み」を歩くと、古い時代の良さを感じさせてくれます。
伝統的な商家がずらりと軒を連ねて、静かなたたずまいを見せ、
先人の知恵や思いやりに満ちた心豊かな暮らしぶりが偲ばれます。
季節の移ろいを楽しめる大滝山、南には霊峰高越山を眺望し
穴吹川や吉野川の清流など、すばらしい自然に恵まれて
心なごみ、深いやすらぎをおぼえます。~
~蜂須賀家政が1585年泡に入国した時、筆頭家老の稲田植元が脇城に入り、城下町として繁栄した美馬市脇町。阿波藩が奨励した藍づくりは、江戸時代から明治にかけての阿波の代表的な産業として広がり、交通の要衝と吉野川の水運に恵まれた脇町は藍の集散地として栄え、藍商・呉服商の商人が栄華を極めたものです。
現在、うだつの町並みに建ち並んだ建造物は本瓦葺きの大屋根に、壁は厚い塗籠めで漆喰仕上げの濃厚な造りと、当時の繁栄を物語る「うだつ」や虫籠窓、出格子、蔀戸を備えた建物がその当時の状態で今に残されています。~
ちゅうことでそれでは画像貼り付けていくので見ていってちょーだい。
「青い巨星」号は道の駅藍ランドうだつの無料Pに停めていざ行かん、「うだつの町並み」へ!
まずは藍商の船着き場であった所、うんちくともども見てちょ。
何とも良い天気だよなー、規模は小さいながらも(今と比べたらね)ちゃんとここにも世界があって社会がある訳だ。
東の端から歩いてみようと行ってみた所、何ともハイカラな建物が。
町の景観を損ねることなく建っているこの建物は町立図書館「うだつ館」、日曜日も開いてます。
暑かったってのもあって、ちょいと涼を取りに入った。
週刊誌も多いし、漫画も多いし、新聞も揃ってるし、もちろん小説もありゃ、子供用の教材もある。
勉強してる学生も居れば漫画読んでる子供も居て、この近所の子供達が集まるんだろうな。
ワタシもここに住んでたら入り浸っちゃうよ、それくらい良い所。
「うだつの館」の隣の蔵に置いてあるのが山車とこの古い「うだつ」。
そう、まさにこれが「うだつ」。
果たしてこれでもらい火事がなくなるのかははなはだ謎だが、備えあれば憂いなしなんでしょうか。
では、適当に見てくれい。
東西で300mくらい? のこの通りだけが「うだつの町並み」、一本北の筋は全く普通の家が建ち並んでるのはギャップを感じるが、そりゃ普通に時は流れていくわな。
ちなみにこの町並みは「重要伝統的建造郡保存地区」だそうです。
おまけ。この「うだつの町並み」にツバメの巣があって、親ツバメが餌を持ってきて口移しで子バメに与えてる様を見てしまって、微笑ましくなってしまったので一枚パシャリ。
鳩には敵意剥き出しになるけど(テラスに鳩の巣作られて、挙げ句卵産まれること数回、雛に帰ったのが二羽、全部捨てたけどな)、ツバメは良いやねー。
何で鳩はダメでツバメは良いのかという、人生の根幹を揺さぶるような質問はカンベンしてちょ。
ちゅー訳で次回、山を下りて徳島市内に徳島ラーメンを食べに行くんだが、そこで思いもよらぬことが!!!
と、一応気になる引きをしてみました。
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